猫の妙術

1992年剣道日本4・5号 秘伝書抄訳シリーズより
佚齋樗山子著 中井一水訳
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勝軒という剣術者がいた。

勝軒の家に大きな鼠が一匹いて、白昼堂々と部屋中走り回わるので、勝軒はその部屋を締めきって、飼い猫に鼠を捕らえさせようとした。

しかし、その鼠は飼い猫の面に飛びかかりあるいは、喰いつくなどしたので、飼い猫は泣き声をあげて逃げてしまった。

しかたなく勝軒は、近辺から抜群に強そうな猫を集めて来て、すこし隙間を開けて部屋に追い入れたものの、くだんの鼠は床の隅にいて、猫がくればとびかかり、喰いつき、あまりにも凄まじいものだから、猫どもはすべて尻込みしてしまい、どれ一匹として鼠を捕ろうとしない。

この様子を見ていた勝軒は腹を立て、自ら木刀を持って鼠を追い、打ち殺そうとするが、木刀はまるで鼠に当たらぬばかりか、戸障子や襖を叩き破ってしまう始末。

勝軒は大汗を流しながら、下僕を呼ぶと大声で言った。

「六、七町先に、並々ならぬ古猫がおると聞いている。すぐに借りてきなさい」

早速、借りてきた猫を見れば、あまり利口そうでもない。が、かの部屋に入れると、例の鼠は身をすくめてしまって動かない。古猫は何事もなげに、のろのろと鼠のそばへ歩み寄ると、難なく鼠をくわえて戻ってきた。

その夜のことである。

勝軒の家に多くの猫どもが集まり、かの古猫を上座に講じ、いずれの猫どもも、その前にひざまずくと古猫に言った。

「われわれは抜群の猫を称賛され、その道の

修行を積み、鼠ばかりかいたち、かわうその類まで捕らえられるほど、爪も磨いて研鑽してきた。

しかしながら、いまだ今日のような強い鼠に出会ったことはなかった。それを御貴殿は、何の術をもってか簡単に捕らえられたが、願わくば、我らにもその妙術を教えていただきたい」

すると、古猫は静かに笑って言った。

「若い猫のみなさん。みなさんは、一生懸命に働かれたではありませんか。ただ、思わぬ不覚をとられたのは、いまだ正しい道理にかなった技法をご存知でないからでありましょう。まずは、みなさんの修行のほどから、お聞きすることにしましょう。」

古猫の言葉に、鋭い顔つきの黒猫が一匹前にすすみ出て言うには、私は鼠を捕獲する家柄に生まれ、以来、その道に心掛けてきた。七尺(約2メートル)の屏風を飛び越え、小さな穴にもぐり、小猫の時から早業、軽業を得意とし、ときには、眠ったふりをして策略をめぐらし、不意に桁や梁を走る鼠といえども、一度として捕り損じたことはなかった。

ところが今日、思いの外の強鼠に出会って、一生の不覚をとり、はなはだ心外に思っている、と。

聞いて、古猫は口を開いた。

「ああ、あなたの修行は技法第一主義というもの。したがって狙う心が先に立っているのです。

昔の人が技法を教えたのは、その道筋を教えんがためで、ゆえに、その技法は容易ではなかった。その中に深い真理があるのだが、今日では技法だけを専らにし、ために種々の技を創り、技巧をきわめるので、単なる技くらべになってしまった。

それでは、技巧が尽きれば、どうにもなりますまい。小人が技巧に走り、才覚に溺れると、すべてそのようになろう。心の働きといえども、道理にもとづかず、巧を専らとするときは、かえって害の多いもの。これを反省して、よくよく工夫することでしょう」

 

次に、虎毛の大猫が一匹まかり出ると言った。私の思うに、武術は”気の持ち方”を貴びます。ゆえに、気を練ることに長い修行をつづけてきた。そのため今はその気力も固く強く、天地に充ちている。気合でもって敵を倒し、まず勝利して後すすみ、声にしたがい、響きに応じて、鼠を左右につけ、変化にも応じることができる。

行動するにも意識せずして、自然に湧き出るごとく振る舞うことができ、桁や梁を走るも可能だ。

ところが、彼の強鼠は来るに形なく、往くに跡がない。これはどういうことなのでありましょうか。

古猫がゆうには、その修練は、気の勢いによって働くものでしかない。つまり、自らの気力をたのみとするもので、最前のものではない。われ破らんと欲すれば、敵もまた破ろうとしてくる。また破ろうとして破れぬもののあったときはどうするか。

決して己だけが強く、敵はみな弱いというものではない。天地に充がごとき気と思っているものは、すべてうわべだけの勢いでしかない。それは孟子の浩然の気と似て、実はまったく相違するものなのだ。孟子はよく見える目を持ち、物事を見分ける知力を備えて剛健だが、あなたのは勢いに乗じた剛健であるから、その効果のほどもまた同じではないのだ。

たとえば、滔々と日夜流れる大河と、一夜の洪水の勢いとの違いというもの。気勢に屈しない敵があるときはどうするのか。俗に”窮鼠猫を噛む”のたとえもある。そのような敵は、必死になり、生命を忘れ、欲を忘れ、勝負を度外視し、身の安全など心中になく無心である。こうした敵に、勢いだけでどうして勝てようか。

古猫の話しが終わると、灰色の少し年を経た猫が静かに前へ進みでて質問した。

「仰せのとおり、気は旺盛ではあっても象(かたち)があり、象のあるものは微小であっても見えるもの。私は長く心を鍛練して、気勢をなさず、相争うことなく、何事も相和してきた。私の術は幕を張り巡らせて、つぶて(石)を受けるようなもので、強鼠といえども、私に敵しようとしても相手ではない。ところが今日の鼠は、勢いにも屈せず、和にも応じず、まさに神のごとくで、私はいまだにこのような鼠をみたことがない」

灰色の老猫の話しに、古猫は答えた言った。

「そなたの和は自然の和ではなく、考えてなせる和であり、したがって気をはずさんとしても、僅かな妄念が生じれば、敵はそれを知るのである。また、私心をはさんで和をなせば、気は濁って惰してしまうものだ。思い考えてなせば、なにごとも自然の感をふさいでしまうため、妙手はどこからも生じない。

ただ、思わず、なすこともなく、感にしたがって動けば生ぜず、天下に敵すべき者はいなくなる。

とはいえ、各々が修行するところのものを、すべてが無用のことというのではない。気のあるところ必ず理があり、理のあるところ必ず気は離れずにあるから、動作の中に理に至るものはあり、気はまた一身の用をなすものである。

その気がおおらかなるときは、物に応ずること無窮(むきゅう)で、和する場合は、力をもたずして金石に当たろうとも、けっして折ることもない。わずかに思考することが、すべて作意となってしまうのだ。ゆえに敵する者は心服しない。

なんの術をも用いる必要はない。ただ無心に、自然に応じられるがよかろう。道には極まるところはないから、私のいうところをもって至極と思ってはならない。

昔、私の郷に猫がいた。終日眠っていて気勢もなく、木で作った猫のようであった。

人々も、その猫が鼠をとるのをみたことがなかったが、その猫のいくところ、近辺に鼠の姿を見ることはなかった。そこで、私はその猫のところへ行き、その理由を質したのである。が、その猫は答えず、四度も問うたが、四度とも答えなかった。これは答えなかったのではなく、答える理由がなかったのであった。

それでわかったことだが、真に知るものは言わず、言うものは真を知らないものだ。その猫は己を忘れ、ものを忘れて無物に帰していたのである。まさしく”神武にして不殺”(註)というものであった。私もまた彼に、遠く及ばなかった」

古猫のこの話を、勝軒は夢のごとく聞き入っていたが、やがて、古猫に会釈するとやおら口を開いていった。

「私は剣術の修行をはじめて久しいが、いまだその道を極めることができないでいる。今宵は各々のお話しを聞いて、ずいぶん悟るところがあった。願わくば、なおその奥義を示していただきたいのだが・・・・」

古猫曰く、

「否。私は獣であり、鼠は私の食するところのもの。私がどうして人のすることを存じましょうや。しかしながら、私がひそかに聞いたことがある。”それ剣術は、専ら人に勝つためにあらず。変に臨みて、生死を明らかにする術なり”と。武士たる者は常に心を養い、その術を修行しなければなりません。ゆえに、まずは生死の理に徹し、不疑不惑、才覚・思慮を用いずに、心気和平にして、静かに安らかで平常心であれば、変化に応じることは自由自在となる。

だが、この心にあらざる場合は、状(かたち)が生じ、敵が生まれ、相対して争うことにもなって、変化に適応できなくなるのだ。つまり、己の心が先に死地に落ちて霊明さを失うので、どうして快く勝負が決せられよう。たとえ勝つことがあっても、それは”まぐれ勝ち”でしかなく、剣術の本旨ではない。

無心無物といっても、空しいといったようなものではない。心はもともと形もなければ、したがって物を蓄えることもできない。そこの僅かでも蓄えるものがあれば、気もまたそこへ拠ろうとし、そうなれば豁達(かったつ)自在に在ることはむつかしくなる。向かうところは過となり、そうでないところは及ばなくなり、過は勢い溢れてとどまらず、及ざるときは用をなさなくなり、ともに変化に適応できなくなるのだ。

私がいうところの無心、無物とは、蓄えず拠らず、敵もなければ我もなく、易にいうとこの”思うことなく、なすことなく、ひっそりと動かず、天下のことに感じてついに通ず”で、この理を極めるに近い」

そこで勝軒は、再び質問した。「敵なく、我なくとは・・・・」

古猫はいう。「我あるがゆえに敵があるのだ。我がなければ敵もあるまい。敵というのは、陰・陽・水・火と同様である。およそ形あるものは、かならず対するものだ。己の心に象(かたち)がなければ、当然、対するものもないわけで、争うこともない。これを、”敵もなく、我もなし”という。物と我ともに忘れて、静かに安らかに、一切の妄念を絶てば、和して、一つになろう。

敵の形を破っていても、我もそれを知らない。否、知らないのではなく、そこに心がなく、感のままに動いている、ということであろう。この心は”世界は我が世界”であって、是非、好悪などにとらわれないことを指す。

すべては、己の心から苦楽・得失が生じるのであり、天地広しといえども、また、己の心の外に求めるものはないのである。

古人曰く、”眼裏塵(ちり)有りて三界窄(すぼ)く、心頭無事一生寛(ゆたか)なり”と。すなわち、目の中に僅かのちりが入れば、眼を開くことができない。外来、あるべき筈のないところに、ものが入るからそうなるわけだが、これは先の心のたとえなのである。

また、古人の曰く、”千千万万人の敵の中に在って、この形は微塵になるとも、この心は我が心なり”と。

孔子曰く。匹夫も志を奪うべからず”と。もし、迷うときは、その心が敵を助けるのだ。私のいうことは、ここまでである。

あとはただ、自ら省みて己に求めることだ。師はその事(わざ)を伝え、その理を悟すだけだ。その真を得るのは、我にある。これを自得という。あるいは、”以心伝心”ともいう。禅学だけではなく、聖人の心法から芸術の末に至るまで、自得のところはすべて以心伝心である。教えるというのは、己に有っても自ら見ることのできぬところを、指して知らしめるだけである。師から授かるのではない。

教えるのも易く、それを聞くのも易い。ただし、己にあるものを確実に見つけ、己のものとするのは難しい。これを修行上の一眼目という。悟りとは、妄想の夢のさめたもので、覚(さとる)ということとも同じであり、格別変わったことではないのである。

(註)周の文王を賛えた言葉。文王は神のごとき武勇をそなえながら、あえて兵を興さず、人を殺さすに、泰然としてときを待ったという。

あれこれ学ぶことはやさしいが、ひとつの分野を深く知ることは難しい。

潜在意識は想像以上に、あなたの計画についてはるかによく知っている。

大きなことを考えれば、大きくなれるだろう。
高いところをめざせば、頂上にたどりつけるだろう。
遠いところを見れば、遠いところまでいけるだろう。

本当にすごい人というのは、一生懸命働きながら、子どもを育てたりしながら、人が嫌がることをしないで生きている人です。誰が何といおうが、私はそう思っています。
『ツイてる!』角川書店

貧乏臭い人間は、かならず貧乏になります。自分には無用と思えるものを、もったいないからと抱え込んでいるような人は、その重みで貧乏の底に沈んでいくからです。